キリギリスの雑記帳
キリギリスの雑記帳

第6話
泥棒もひとつの「職業」


1月7日朝、バラナシ駅から列車に乗ってボンベイ(ムンバイ)方面に向かう。

インドの列車というと、超混みで、屋根の上にまで人が溢れているほか、窓にぶら下がっている人もいる・・・という、凄まじいイメージがある。

窓に鉄格子のない列車では、ドアだけでなく窓も「出入り口」になっている。


確かにそうだった。

ローカル列車はそういう状態であることを見ていた。

そういう列車には乗りたくない。

いくら地元の人との「触れ合い」が旅の醍醐味でも、触れ合う距離が近すぎる(^_^;



だから寝台車にした。

キップを予約するのに、長時間並ばなくてはならないから大変だけど、乗ってしまえばひと安心。

寝台車といっても二等なので座席(ベッド)は木の床で硬い。

私は寝袋を敷いて寝ていたが、インドの人たちが寝台車に乗るときは布団?まで持ち込んでくるので、すごい荷物だ。


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駅にはどういうわけか改札がない。

だから、その気になれば誰でも列車に乗ることだけはできるようで、実際、キップのないサドゥー(修行僧)なんかが乗り込んでいるのを車掌に見つかり、次の駅で追い出せれているのをよく見かけた。

でもサドゥー(修行僧)にとっては、追い出されようが何だろうが移動できたわけだから目的を果たしているんでは?

どうせ、逆さにしたってお金は出てこないし、修行の身なので目的地だってあるんだかないんだか・・

二等寝台車には窓に鉄格子がついているので窓から進入されることはないが、駅につくと、物売りや乞食が鉄格子の間からにゅっと手を伸ばして来る。

手を伸ばして物乞いするのは、目のつぶれた人や腕のない子供などだ。
インドにはどうしてこんなに身体障害者が多いのだろう。

人づてに聞いた話によると、物乞いで暮らしている家族は、子供が生まれると体のどこかを切ったりつぶしたりするそうだ。
どこかに障害があったほうが、物乞いで生きていくには都合が良いらしい。
それにしてもひどい話だ。本当か嘘かわからないが・・・


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車内では、乗客はいつも何か話しているし、物売りや歌謳い、寄付金集めのおばさんなどが次から次へと現れ、賑やかこの上ない。

寄付金集めのおばさんは、ヒンディー語でなにやら書かれた紙切れを乗客に差し出す。
乗客は紙切れの文章を読むとたいていだまってお金を差し出す。
私のところにも来たが、何が書いてあるのかはわからない。
しかし、お金は差し出した。
紙切れは、見せたら回収する。一枚しかないから、もう激しくボロボロだ。


さて、ボンベイ行きの列車内では、いつもより英語が通じて少しいい気分だった。

ストレンジャーの私は常にスターみたいなもので、他の乗客から話しかけられ、日本のコインやお札、タイ、ネパールのコインなどを売ったり、Name Addressを書かされたり、タバコやパーン(葉っぱを噛む嗜好品)を勧められたり・・・

どこへ行っても、「どこから来た?」「どこへ行く?」がついて回る。


昼食を車内で食べた。

「駅弁」というものはない。車掌に注文すると、アルミのプレートにご飯やカレーをのせたものが運ばれてくる。

食べた後は、プレートを車掌に返すのだ。けっこううまい。

弁当箱のようなゴミが出なくていいかも・・

食事している最中にアラハバードという街の駅に着き、人の乗り降りがあった。

アラハバードを出発し、食事を終えたので、本でも読もうかと思って、棚の上を見たら・・ない!


カバンがない!


今回の旅には、寝袋などを入れた登山用のリュックをメインにして、サブのカバンとして、中学生のときに使っていた白い肩掛けカバンを持ってきていた。

その中には、すぐに取り出せるようにと、2冊のガイドブック、地図、インドのタイムテーブル(列車時刻表)、英和辞書、懐中電灯、コップ、そして日本の友人から借りてきたカメラを入れていた。

そのカバンがない!



・・これは盗まれたのだ。

リュックの方は、棚にロックつきチェーンでつないでいたのでそう簡単に盗まれることはないのだが、カバンの方はそれがないので、列車の中などでは、いつも膝の上にのせていた。

ただ、食事が運ばれてきてからは、食べるのに邪魔になるから、食べている間だけ棚の上にのせていたのだ。

アラハバードの駅について人の乗り降りがあったときに盗まれたに違いない。



人が行き来するのがわかっていたから、その時だけでも棚の上を注視しておくべきだった。

それをしなかったのは、向かいの席や隣の席の半径2メートルくらいの範囲に、親しくなったインド人たちがのっていて、彼らは私がカバンを棚の上にのせたことを知っているから、もし誰かが盗もうとしても、止めてくれるだろう・・

即ち、監視役になってくれるだろうと考えていたからだ。

しかしこれは甘かった!

彼らは、泥棒が私のカバンを盗っていくところを見ていたのに、それを止めることもしなかったし、私に注意することもしなかったのだ。


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私は周りの乗客に聞いてみた。

「どうして盗まれるところを見ていて注意してくれなかったのか?」

すると、「盗まれたのはおまえの不注意だ。」という。

さらにいうには、

「泥棒もひとつの職業であり、彼らはそれで生活している。」

「だから、我々は彼らの生活を邪魔するようなことはしない。盗まれたほうが悪い。」

とのことだ。

私はこれを聞いて感動してしまった!

全く予想外の答え。


単純に「泥棒は悪い」とか、「人の持ち物が泥棒に盗まれそうになったら、注意してあげるのが当たり前」といった、日本の常識は通じないんだ・・・


この人たちの頭の中はいったいどうなっているんだろう・・

泥棒もひとつの職業だから、彼らの生活を邪魔しないだと・・・・!


確かにインドには、いろんな「職業」がある。

道路に体重計を置いて道行く人の体重を量り、お金をもらっている人、蛇使いなどの大道芸人、物乞い、サドゥー、リキシャの運ちゃん、道端のサンダル修理屋さん、同じく道端の耳掃除屋さん、ガンジャ(大麻)売りのおっさん、
・・・そして泥棒の専門家か・・・


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地図などの、旅のアンテナになるものがすべてなくなってしまったので、愕然とした。

人様から借りてきたカメラも盗まれた。 もう写真も撮れない。

まだ旅に出て少ししかたっていないのに・・



それでも少ししたら、「まあ、いいわい」という気持ちになってきた。

こういうことがあったおかげで、インドの人たちのものの考え方を一部知ることができたわけだし、

いつまでも地図やガイドブックに頼っていてはイカン、何とかなる・・

いや、何とかするのだ・・

かえってサバサバしたぜ! と強気で考えることにした。

インドの駅のカオス

インド鉄道駅の象徴的風景

線路を牛が歩き、ホームの上では物売りが休み、炊事する人がいて、なぜか洗濯物が干されている・・・なんでも有りの混沌

カメラを向けると必ず子供がやってくる



インド中央部のデカン高原の中に、アジャンタとエローラという二つの石窟寺院群がある。仏教、ヒンズー教、さらにはジャイナ教とやらの石窟寺院だそうだが、とても有名らしいので、行って見ることした。

そもそも、列車でアジャンタ近くの駅で降りて、そこからバスかなんか探して行こうと思っていたのに、ガイドブックも地図も列車時刻表も盗まれたので、「ジャルガオン」という駅が一番近そうだということはわかっていたけれど、何時頃そこに着くのかもわからない。

インドの鉄道では、日本のように駅に着いたからと言って駅名をアナウンスするなんてことはないので、駅にある駅名プレートを見るか、誰彼となく聞いて見るしかない。


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盗難にあってから一晩越して次の日の昼頃、やっとジャルガオンに着き、駅を降り馬車に乗ってバスターミナルへ行く。

ターミナルは例によってとても混んでいて、しばらく唖然とした後、誰彼と聞きまくってバスに乗りアジャンタの町へ。
アジャンタは小さな集落だった。

ホテルなどを探したけれど無くて、隣町へ歩いていく途中だと言うインド人3人の後ろにくっついて、4km北にあるパラザフールという町まで歩いていくことにした。 このあたり一帯は半乾燥地帯で、ところどころ田畑があるほかは、黄土色の丘がうねうねと続いていて、遥か向こうまで見渡せる。 しかし、樹木だけはたくさんあった。

いっしょに歩いたインド人が、「このあたりの林には、野生のトラがいるんだ。」という。
「えっ!」 怖くなってあたりをキョロキョロ見回す。 警戒しながら、なるべく3人と離れないようにした。

ちょっと腹が痛かったし疲れていたので、この行程は大分しんどかった。

「あれがパラザフールだ。」 とインド人に指差された彼方を見ると、なるほど町らしきものが見えたが、あたりはひっそりとしていて、時々牛車が通ったり、川で洗濯するおばさんたちがいるだけで、のどかな光景だ。
しかし、トラの出没恐怖と、腹が痛いのと疲れていたので、とても楽しい気分にはなれなかった。

パラザフールでは、水のシャワーのある10ルピー(約300円)の小奇麗なホテルに泊まった。 マスターは23歳で、今日本語を勉強しているとのことだった。


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翌朝、バスでアジャンタ石窟寺院へ。
馬蹄形の谷があり、岩壁のほぼ中段に25~30の石窟寺院が掘られており、谷の奥は大岩壁になっていて、一番奥に滝がある。

下のほうの川沿いにはきれいな公園があり、人も少なかったし、花や竹がきれいで、リスや野鳥やサルなどがすぐ近くまで寄って来たりして、いいところだ。 久しぶりにゆったりした幸せな気分なる。


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次にエローラを見るため、一番近いオーランガバートという町に行って泊まり、翌日エローラの石窟寺院へ。

ここはとても素晴らしかった。 すごかった。 感動した!!
これを見ただけでもインドへ来てよかったと思った。

アジャンタのそれよりも、もっと実に巨大で、岩山を削り落として寺院全体が浮き彫りになっている。

実に大きな岩壁、そして奥まで伸びた石窟。
いったい何人の人々がどれだけの歳月をかけてあれを造ったのだろう。 とにかくすごい!

あたりに人がほとんどいなかった。 静かだった。

渇き切った大地、照りつける太陽、青い空、黒い岩壁、その片隅でひとりポツンと座っていると、何か、NHKの「未来への遺産」という番組の主人公にでもなったようで気持ちよい。


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振り返ってみると、なんだかんだと言っても結構いろんな人々の力を借りて旅をしていた。

バスに乗るときも、乗るバスを探していたらひとりのインド人がいろいろ親切にしてくれたり、私を見ただけで「フレンド、フレンド」と寄ってきてピーナッツなんかくれたりする若者や、覚えたての英語で話し掛けてきて、バスがきたら私の手を引っ張っていって乗せてくれた子供等々・・・

逆に言えば、完全にひとりで旅をするなんてことは不可能だ。
入国当時はインドを嫌いになったが、今は嫌いじゃなくなった。

旅行記 目次

第1話 旅の序章、 第2話 入国拒否、 第3話  強盗だー!、  第4話 TOMODATI!、 第5話 聖地の大晦日、 第6話 泥棒もひとつの「職業」、  第7話 船旅、  第8話 ヒッピーの聖地(海岸の小屋)、 第9話 ヒッピーの聖地(パーティー)、  第10話 ヒッピーの聖地(LSD)、 第11話 ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・)、  第12話 インド人は親切だ?、 第13話 田舎を行く列車の旅、 第14話 変わり始めた片田舎の町、  第15話 皆既日食を見た!、 第16話 屋根の上のシタール弾き、  第17話 カルカッタにて、  第18話 ヒマラヤの旅(1)、 第19話 ヒマラヤの旅(2)、 第20話 ヒマラヤの旅(3)、  第21話 ヒマラヤの旅(4)、 第22話 ついに発病か?、  第23話 ポカラの公立病院、  第24話 旅先で発病した人たち、 第25話 酷暑、 第26話 日本は「ベスト・カントリー」だ!、  第27話 目には目を?、 第28話 沙漠の国、  第29話 「異邦人」の町、  第30話 沙漠に沈む夕陽、 第31話 アラーよ、許したまえ、 第32話 イランの印象(1)、  第33話 イランの印象(2)、 第34話 イランの印象(3)、  第35話 中東にはホモが多い?、  第36話 「小アジア」の風景、 第37話 イスタンブール到着、 第38話 国民総商売人、  第39話 銃撃事件、 第40話 旅の終わり、  最終話 帰路・あとがき