キリギリスの雑記帳
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第21話
ヒマラヤの旅 (4)


数あるヒマラヤトレッキングルートの中でも、有名なエベレスト街道やアンナプルナ山域に比べてランタン谷は比較的マイナーで、訪れる人も当時は少なかった。

約2週間のトレッキングの間、日本人とは帰路にひと組会っただけで、あとは全部ヨーロッパやアメリカ人だ。

ランタン谷は面白いところで、はじめのうちは深い谷沿いに登って行くが、最後の集落であるランタン村のあたりから谷は急に広がり、「平原」と呼びたくなるほどの荒野が広がっている。

標高3,800m~4,000mに平原が広がり、その周囲を6~7,000m級の山々が取り囲む。




前日の雪が薄く積もった道を、ランタン村からキャンジンゴンパまで歩く。ここには大きなロッジがあり、西洋人トレッカーがたくさん宿泊していた。

キャンジンゴンパには午前中に着いてしまったが、この先にはもう宿はなく、氷河モレーンの先端まで往復するのも一日がかりなので、今日はここに泊まり、明日、氷河まで行って見ることにしよう ♪

近くの小山に登った。 主峰ランタン・リルン、その隣にキムシュン・・・7,000m級の名峰がすぐ目の前にそそり立っている。

カトマンズから持ってきたガンジャを取り出し、おもむろに一服。山々を鑑賞する。

   美しい・・・つくづく美しい!

高山でのガンジャは効果テキメン。

ランタン・リルン峰が父であり、キムシュン峰が母である・・・

遥か下の小川のせせらぎが、日本の故郷の川の流れである・・・

この広大なヒマラヤがわが故郷であるかのような幻覚を覚えたところで、ふと我に帰った。



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ロッジに戻り、ほどなくしてからドイツ人数人のトレッカーが騒々しく入ってきた。

うち一人が、大の男であったが大きな声を上げて呻いている。

とても苦しそうだ。目を押さえ、まさに七転八倒の苦しみようだ。

いっしょにいたドイツ人たちも、どうすることも出来ないといった様子で茫然としているではないか。

   いったい何事か?


訳を聞くと「雪盲」だという。

雪山に反射する、高山の強烈な紫外線に目をやられてしまったのだ。

雪盲は、はじめのうちは症状が分からず、気がついたときには猛烈に目が痛むと聞いていた。

それは、私が旅に出るきっかけとなった話をしてくれた先輩から聞いたものだ。

その先輩が私に餞別としてくれたものが、眼鏡に取り付けるタイプの簡易サングラスであり、私はそれを装着していたおかげで雪盲を免れていたようだ。

いまさらながら、先輩の知恵に感謝!


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この日、スイス人の大集団が大勢のシェルパたちとともにキャンジンゴンパにやってきてキャンプしたのだが、彼らは夜、このロッジに入ってきて、ギターに合わせて歌を歌い始めた。

そうなるとたちまち、泊まっていた西洋人たちが皆加わり、ロッジの中は大合唱大会になってしまった。

皆喜んで大声を出し、足踏みする者、腕を上げる者・・・

こういう時の西洋人たちのノリはすごい!



歌は英語やドイツ語なので、はじめのうちは言葉もわからないし黙っていたら、隣のイギリス人中年夫婦の奥さんに、

「あなたは歌わないの? 歌がきらいなの?」 なんて言われてしまった。

「No I like Music!」

こうなったら日本人の誇りをかけ、意地でも歌ってやる。


皆が英語なのに、私だけ

「おー、ブレネリ! あなたのおうちはどこー ♪」
「わたしのおうちはスウィッツランドよー! 奇麗な湖水のほとりなのよー♪」


どうせ誰も日本語は分かるまい・・・

歌っているうちにだんだん楽しくなってきた。

とてもとても楽しくなった・・・

あのイギリス人夫妻もにっこりして微笑みかける。

   歌は世界をつなぐ最高の言葉


キャンジンゴンパから見た
ランタン谷の主峰  ランタン・リルン



さらに谷を奥へ
ランシサ・カルカへの道

4月1日、キャンジンゴンパからさらの奥のランシサ・カルカを往復

ランシサは遠いというので、朝6時に出発。

出かける前に、ロッジの管理人から、一人での行動は何かあったときに危険だから止めたほうが良いと言われてしまったが、どうしても行って見たかったので、行くことにした。

ランシサという場所がどういう場所なのかわからないが、適当に奥の方に歩いていく。
荒涼とした原野だ。 道らしきものはあるが、明瞭ではない。 小さな川がいくつもあり、そのたびに道を失いかけた。

時々、放牧されているヤクが行く手をさえぎっていた。
ヤクはおとなしいというが、あの大きな図体と長い角で、もしもズドンとやられたら軽傷ではすまないだろうなあと思うと、大きくヤクを迂回して通らざると得なかった。

私はここに来る2年前に、沖縄の西表島を歩いて横断したときに放牧地に迷い込み、牛に追いかけられ恐怖の体験をしたことがあったので、家畜といえどもこういう生き物には安易に近寄りたくない。

昼前に、氷河のモレーン(氷河によって運ばれた堆積物でできた山)のふもとに出たので、このモレーンの斜面を登る。

岩だらけの山で、思ったよりも急斜面だった。
モレーンのてっぺんは広々としているものだとばかり思っていたが、実際に登って見ると、意外に切り立っていて怖かった。

ここからは、ランタン谷最奥部の山々を一部見ることが出来た。 標高は4,200mくらいと思われる。  自分がこれまでに行ったことのある場所の最高地点。

あたりには誰もいない。 静かな環境で、周囲の山々の圧倒的大きさを存分に堪能する。

ここはヒマラヤの奥地。 一生のうちにもう一度ここに来ることはおそらくないだろう。
そう思うと、勿体無くて立ち去り難かった。

ここから先は、ヒマラヤ登山の装備・技術がないと行けないエリアだ。 今回のトレッキングはここを到達点として、帰ることにする。

岩だらけのモレーンの山を降りるときがまた緊張した。 岩の間に足を突っ込んで怪我をしてしまったら大変だ。 たった一人なので救助も呼べない。

それでもなんとか、無事にキャンジンゴンパに帰りついた。

この晩は特に寒かった。使い古しの春夏秋用シュラフでは寒くて眠れなかった。
さらに、南京虫被害が頂点に達していて、寒さと痒さで、疲れていたのについに一睡もできなかった。

旅行記 目次

第1話 旅の序章、 第2話 入国拒否、 第3話  強盗だー!、  第4話 TOMODATI!、 第5話 聖地の大晦日、 第6話 泥棒もひとつの「職業」、  第7話 船旅、  第8話 ヒッピーの聖地(海岸の小屋)、 第9話 ヒッピーの聖地(パーティー)、  第10話 ヒッピーの聖地(LSD)、 第11話 ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・)、  第12話 インド人は親切だ?、 第13話 田舎を行く列車の旅、 第14話 変わり始めた片田舎の町、  第15話 皆既日食を見た!、 第16話 屋根の上のシタール弾き、  第17話 カルカッタにて、  第18話 ヒマラヤの旅(1)、 第19話 ヒマラヤの旅(2)、 第20話 ヒマラヤの旅(3)、  第21話 ヒマラヤの旅(4)、 第22話 ついに発病か?、  第23話 ポカラの公立病院、  第24話 旅先で発病した人たち、 第25話 酷暑、 第26話 日本は「ベスト・カントリー」だ!、  第27話 目には目を?、 第28話 沙漠の国、  第29話 「異邦人」の町、  第30話 沙漠に沈む夕陽、 第31話 アラーよ、許したまえ、 第32話 イランの印象(1)、  第33話 イランの印象(2)、 第34話 イランの印象(3)、  第35話 中東にはホモが多い?、  第36話 「小アジア」の風景、 第37話 イスタンブール到着、 第38話 国民総商売人、  第39話 銃撃事件、 第40話 旅の終わり、  最終話 帰路・あとがき