キリギリスの雑記帳
キリギリスの雑記帳

第27話
目には目を?


アジアからヨーロッパまで、陸上の道が通じている。

日本人が外国へ行くためには海を渡らなければならないけど、ヨーロッパの人たちは陸の上を移動するだけで外国に行くことができる。
だから、ヨーロッパの若者達はバスに乗って気軽にインドあたりまで旅行にやってくる。気軽に・・

インドから逆にヨーロッパへ行くには、パキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコ、ギリシャ・・・と辿ることになる。

   ところが、途中のアフガニスタンでは戦争をしていた。

ソ連の傀儡政権に反対する勢力と政府の間で紛争が起こり、1979年12月、ついにソ連はアフガニスタンに軍事介入したのだ。

私がパキスタンにいた1980年4月には、ソ連軍&アフガニスタン政府軍 VS 反政府ゲリラとの間で激しく戦闘している最中だった(@_@)


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当然、外国人がアフガニスタンに入国することはできないだろう・・と思っていたら意外や意外、アフガニスタンの国境はオープンだった。

ヨーロッパ方面からやって来る旅行者に聞いてみた。

「アフガンは迂回してきたんでしょう?」

すると

「いや、国境はオープンだったよ。」

「えっ、本当に? 危ないことはなかったですか?」

「いや、別に・・」


本当かよ?


さて私は迷った。
イランに抜けるにはアフガニスタンを通過するか、それが嫌なら、パキスタン南西部の砂漠地帯を迂回してイラン南部のザヘダンに抜けるという2つのルートがある。

アフガニスタンはどうしても行って見たい国のひとつだ。

「経済的には極めて貧しいながら、遊牧などの伝統的生活様式にイスラム教が見事に調和した非常に魅力的な国である・・」なんてことが、日本で読んだ「アジアを歩く」という本に書かれていたし、

「アフガニスタンの農村から」という本の中では、「日本では働かない者は軽蔑されるが、アフガニスタンでは働かないでブラブラしているということは大して悪いこととはみなされない。
それよりも、神への信心が薄いこと、ナマーズ(お祈り)を欠かす者のほうが軽蔑されるのだ。」なんてことが書かれてあった。

こういう、日本とは考え方も生活様式も違う国は是非見てみたい!

有名なカイバル峠も見てみたい!

バーミヤンの巨大仏像も見てみたい!


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ちょっと怖いけど、戦争中のアフガニスタンに入ろうかな・・・

国境は開いているという話だし、無事に何事もなく通過してきた人たちがいるじゃないか・・・

「戦争」自体が、めったに見られないものではないか?

戦争も見てみるか・・・

   ・・・私の中で悪魔のささやきが聞こえる。



でも、すぐさま冷静に考えた。


戦争をしている国に入って、危なくないなんてことがあるはずない!

今日何も起こらなくとも、明日には死ぬかもしれない。それが戦争だ。

この人たちはたまたま運よく、無事に通過してきただけなのだ。

死んだら、日本にいる家族や友人が悲しむぞ。

お互い真剣に戦っている中に、物見遊山で入っていくなんて失礼もはなはだしい。



そうだよな。冷静に考えれば、戦争をしている国にわざわざ観光旅行で入っていくなんてのは常軌を逸しているとしか思えない。

そんなのは勇気でも冒険でもない。「無謀」というやつだ。


・・・というわけで、アフガニスタンを迂回し、パキスタン南西部の砂漠地帯を横断してイランに向かうことに決定。


パキスタンのトラックはどれもゴテゴテに飾り立てている



列車でラホールを朝出て、パキスタン南西部のクエッタには翌日昼頃到着予定。

チケットを取るため苦労して並んだが結局寝台予約は取れなかった。
普通の座席に座って終点のクエッタまで所要時間約36時間!


当然、列車内は大混雑だった。

混雑を予想して早くから駅に行き待っていたため、なんとか座ることができたものの、発車間際に駅に行っていたら大変だ。

席に座れず立っている人がいるのはもちろん、箱に入りきれずにドアからはみ出し、バーにぶら下がっている乗客もいる始末。




私が乗った同じ箱のさほど遠くない席にフランス人の若者がひとり乗っていた。

例によって周りの乗客たちからは、「何処から来た?」「何処へ行く?」の質問攻撃。
タバコを勧められたり、日本の住所を書かされたり・・・いつもながら賑やかな列車の旅だ。

私はいつものように人気者・・・


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ところが、同じ箱にいる例のフランス人はちょっと違っていた。

彼は、周りのパキスタン人の乗客たちから何を聞かれてもそっけなく、ほとんど無視している感じ。

それどころか、パキスタン人を「汚らわしい者」であるかのような態度。

隣の乗客と肩が触れると大げさに振り払ったり、誰とも視線をあわせないようにしたり・・・

パキスタン人に対して完全に拒否反応だ。



「おいおい、長旅を供にするのにそんな態度でもつのかよ・・」と心配していたところ、やはり事件が・・・



何かのキッカケで、あるパキスタン人とフランス人との間で口論が始まった。

口論はしばらく続き、車内を大声が飛び交っていたがやがて収まり、やれやれと思っていたところに、
あのフランス人はよほど面白くなかったのか、あろうことか相手のパキスタン人の足元に唾を吐き捨てた!

名誉を傷つけられたパキスタン人の方は、やおら立ち上がりフランス人の胸ぐらをつかみだした。

するとフランス人は一歩後ろに下がったと思いきや、両手を座席の背もたれにかけて飛び上がり、相手のパキスタン人めがけて両足キック炸裂(@_@)


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「え、えらいことになった・・・」

私は正直そう思ったのだった。



当時の私の貧弱な予備知識によると、

「イスラム社会は「目には目を」の世界であり、暴力をふるわれた場合は暴力でお返しするのが当然。だから、人々は滅多に暴力をふるうことはなく、華々しく口論することは日常茶飯事ながら、手を出すということはない。

一旦相手に手を出してしまったら、殺されても仕方ない。そういう覚悟でないと手は出せない。イスラム社会で暴力をふるうということはそういうことなのだ・・・」と

そのように本気で考えていた。



だからフランス人のこの両足キックを見て本当に驚いたのだ。

これは・・・大変なことになるんではないか?
あのフランス人は自殺行為だ。殺されるかも?

案の定、キックされたパキスタン人は猛然とフランス人に襲い掛かっていった。

車内で二人の殴り合い、蹴り合いの喧嘩が始まってしまったのだ(@_@)


荒涼とした大地を疾走するクエッタ行きの列車
車内は混んでいて、窓にぶら下がったままの乗客もいる


旅行記 目次

第1話 旅の序章、 第2話 入国拒否、 第3話  強盗だー!、  第4話 TOMODATI!、 第5話 聖地の大晦日、 第6話 泥棒もひとつの「職業」、  第7話 船旅、  第8話 ヒッピーの聖地(海岸の小屋)、 第9話 ヒッピーの聖地(パーティー)、  第10話 ヒッピーの聖地(LSD)、 第11話 ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・)、  第12話 インド人は親切だ?、 第13話 田舎を行く列車の旅、 第14話 変わり始めた片田舎の町、  第15話 皆既日食を見た!、 第16話 屋根の上のシタール弾き、  第17話 カルカッタにて、  第18話 ヒマラヤの旅(1)、 第19話 ヒマラヤの旅(2)、 第20話 ヒマラヤの旅(3)、  第21話 ヒマラヤの旅(4)、 第22話 ついに発病か?、  第23話 ポカラの公立病院、  第24話 旅先で発病した人たち、 第25話 酷暑、 第26話 日本は「ベスト・カントリー」だ!、  第27話 目には目を?、 第28話 沙漠の国、  第29話 「異邦人」の町、  第30話 沙漠に沈む夕陽、 第31話 アラーよ、許したまえ、 第32話 イランの印象(1)、  第33話 イランの印象(2)、 第34話 イランの印象(3)、  第35話 中東にはホモが多い?、  第36話 「小アジア」の風景、 第37話 イスタンブール到着、 第38話 国民総商売人、  第39話 銃撃事件、 第40話 旅の終わり、  最終話 帰路・あとがき