キリギリスの雑記帳
キリギリスの雑記帳

第36話
「小アジア」の風景


カルスト台地が長年の浸食風化で削り取られ、トンガリ帽子のような形をした岩が延々と続く異様な光景。
およそ地球上のものとは思えない不思議な光景。

トルコ中央部カッパドキア地方の写真を日本ではじめて見たとき、強烈な印象を受けた記憶がある。
いつの日か現地へ行ってこの目で見てみたい・・・と思っていたが、それが今現実のものとなる。


1980年5月19日、ドウバヤジッドからバスに乗り、まずはエルズラムへ。そこからカイセリを経てカッパドキアの中心地ユルギップへと向かう。

翌10時にエルズラム着。

この国には軍隊と警察はどこにでもいる。


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現地通過がもう450リラしかなくて、カイセリまでのチケットが買えない。

バスを降りたとたんに、何人かがドルをチェンジしようと寄ってきたが、現金は2ドルしか持っていなかったのでダメだった。
T/Cをチェンジするために銀行へ行くにはタクシーで100リラかかるそうだ。それも勿体無い。




試しやってみるか・・・

バスターミナルで日本円の千円札を取り出し、高く掲げて「ジャパニーズ、ワン、サウザント、エン」 とやってみたら、ぞろぞろと人が集まってきた。

  「あんたはそれをチェンジしたいのか?」 

トルコ人のひとりが言う。

  「そうだ。」

  「いくらでチェンジする?」


このときの相場では、日本円の1000円は280トルコリラだ。
でも少し膨らまして言ってみよう・・・

  「ファイブハンドレット。これでどうだ?」

私は手のひらで5本指をを広げて見せた。

  「Too Much !」



やっぱり 500 では高すぎるか・・・そう思ったところで、同じトルコ人が言った。

  「ワンサウザントエン、ワンサウザントリラ、これでどうだ。」


千円が千リラだと? さっき千円を500リラで高いと言ったくせに・・
もしかしてこの男は、「ファイブハンドレット」を5千と勘違いしたんでは?

どうでもいいけど千リラなら文句ない。

「OK! 1000リラだ。」

日本の千円札を千リラで買った男は、滑稽なくらい嬉しそうにしていた。



トルコ人たちは日本円の為替相場をおそらく知らないし、日本のお札はおそらく世界一見た目が立派で威厳ありそうだし、経済大国ニッポンのワン・サウザントともなれば相当のインパクトがあったのだろう。


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ところが集まった男たちは立ち去ろうとしない。

  「ほかに何か売るものはないか?」

・・・なんか懐かしい響きだ。インドではどの街でも「何か売るものはないか?」とうるさいくらい聞かれたものだが、イランでは全然そんなことはなかった。

このトルコでまたそれが復活だ。


  「残念ながら日本から持ってきたものは、インドですべて売ってしまった。   私はもう何も持っていないんだ。」

  「おまえのその時計を売ってくれ。」



時計だと? 確かに私は腕時計をはめていたが、日本から持ってきた腕時計はインドで売ってしまって、今はめているのは、文字盤のキャップの無い(取れてしまった)壊れた腕時計だ。

針が露出して、さらに分針は曲がって反りあがっていた。

こんなものでも一応時刻を見るのには役に立つから、捨てないで取っておいたのだ。



  「本当にこんなものを欲しいのか?これは見たとおりキャップが無いんだぞ。」

トルコ人たちは、文字盤のキャップがなかろうが関係ない様子だった。

  「ワンサウザントリラでどうだ?」


えーっ! また千リラかよ。 こんな壊れた腕時計を千リラで買うというのか?

千リラといえば、当時のレートでは4千円弱だ。貧しいトルコにしては大金だ。


ははぁ、この男たちは壊れた時計を買って修理して、もっと高く転売するんだな。
おそらく修理費なんか物凄く安いんだろうから。

修理してしまえば外見は分からない。
文字盤に「SEIKO」と書いてあることがきっと重要なんだ。日本製の時計は世界のブランドだ。

  「OK  千リラで売るよ。」




こうして、ついに私は時計を持たない旅人になった。

これまでの経験から、列車やバスも人もどうせ時間どおりには来ないし、腕時計を持っている人に現地時刻を聞いてもそれぞれ皆違っていたし・・。

この地域の人たちにとっては「腕時計を持っている」というステータスが重要なのであって、正確な時刻なんて意味の無いことなのかもしれない。

時計なんかなくたって十分旅は出来る・・・そう確信していた。
そして実際そのとおりだった。



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トルコ東部、ドウバヤジッドからカッパドキアまでの道のりは、途中の風景が素晴らしい。

うねうねと続く緑の丘、草原、咲き乱れる色とりどりの花々、遠くに連なる残雪の山々。
赤、茶、緑・・色がすごくバラエティーな乾燥した丘、丘、丘・・・

時々現れる小さな町の様子、ロバや子供たち、スカーフをした女性たち。

ポプラの様な真っ直ぐな細長い木々の林や、丸っこい低い木の林が、高木層と低木層をはっきり分けて点在している。

バスは、時に大草原を走り、時に丘を登り谷間を走る。丘の上から見える白く光る川がまた絶景だ。

羊の群れとあちこちで出会う。

こういう光景を、ただ素通りしてしまうはもったいなかった。




エルズラムで午後4時発のバスに乗り換え、次はカイセリへ・・・

田園風景がこのうえもなく美しい。

バスが向う前方、西のかなたに夕陽が沈んでゆく。ああ絶景かな・・・

翌朝5時カイセリ着。寒いバスターミナルでじっと待ち、またしても乗り換えてユルギップへ行く。




眠くなるような昼、これまた絵画か映画のような風景の中をバスに揺られていた。

うとうとしていてうっかり寝過ごしたら、ユルギップを通り越してしまい、ネブシェヒルの手前で目が醒めた。

この街は坂の多い街で、面白い形をした尖塔やモスクがたくさんあって外から見るとまるでおとぎの国に入っていく様だった。


この国の風景の素晴らしさをひとことで言うならば、
「もしも前世というものがあるならば、私は前世にこの国にいたような気がする。そういう不思議な『懐かしさ』のようなものを感じる」 ということだろうか。

ヨーロッパのようでもあり、アジアのようでもある。

今でいうところのジブリの映画の舞台にでもなりそうな、アジアとヨーロッパが融合した不思議な街並みと美しい田園風景・・・




ヨーロッパの人たちがトルコのことを「小アジア」と呼んだ理由が、ぴったりとわかった。


カッパドキアの岩の上から見たトルコの街並み

旅行記 目次

第1話 旅の序章、 第2話 入国拒否、 第3話  強盗だー!、  第4話 TOMODATI!、 第5話 聖地の大晦日、 第6話 泥棒もひとつの「職業」、  第7話 船旅、  第8話 ヒッピーの聖地(海岸の小屋)、 第9話 ヒッピーの聖地(パーティー)、  第10話 ヒッピーの聖地(LSD)、 第11話 ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・)、  第12話 インド人は親切だ?、 第13話 田舎を行く列車の旅、 第14話 変わり始めた片田舎の町、  第15話 皆既日食を見た!、 第16話 屋根の上のシタール弾き、  第17話 カルカッタにて、  第18話 ヒマラヤの旅(1)、 第19話 ヒマラヤの旅(2)、 第20話 ヒマラヤの旅(3)、  第21話 ヒマラヤの旅(4)、 第22話 ついに発病か?、  第23話 ポカラの公立病院、  第24話 旅先で発病した人たち、 第25話 酷暑、 第26話 日本は「ベスト・カントリー」だ!、  第27話 目には目を?、 第28話 沙漠の国、  第29話 「異邦人」の町、  第30話 沙漠に沈む夕陽、 第31話 アラーよ、許したまえ、 第32話 イランの印象(1)、  第33話 イランの印象(2)、 第34話 イランの印象(3)、  第35話 中東にはホモが多い?、  第36話 「小アジア」の風景、 第37話 イスタンブール到着、 第38話 国民総商売人、  第39話 銃撃事件、 第40話 旅の終わり、  最終話 帰路・あとがき