キリギリスの雑記帳
キリギリスの雑記帳

第7話
アラビア海の船旅

1月11日早朝4時にオーランガバートのホテルを出て、列車でインド西海岸の大都市ボンベイに向う。 ボンベイには午後2時半頃着いた。
※ 現在この街は「ムンバイ」と呼ばれていますが、当時外国人に一般的だった「ボンベイ」という呼び名で記載しています。


なにしろ地図もないので、かすかに覚えていた救世軍(プロテスタントの教義をもつキリスト教の一派)の宿泊施設へ行くために、インド門のほうへタクシーを走らせる。

途中、小さな女の子が、前を行く車に何度も何度も寄って行っては、バクシーシ(施しを求めること)をしていた。

車が走りだすと追いかけて行っては、信号などで車が停まるとまたその車にくっつく。
何度も何度も・・・
けれどもガンとして前の車はその子に何も与えなかった。

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救世軍はいっぱいで、高いホテルしか空いていなかった。
翌日、救世軍に行って見たら、やはり空いていなかったが、泊まっていた日本人客から、ガイドブックを写させてもらった。

ボンベイはもちろん、デリー、カルカッタ、テヘランやイスファハンなど、各地の都市の地図の概略や、各地の情報についての文章も、手帳に片端から写した。 手帳はたちまちいっぱいになった。
写させてもらったお礼に、私の持っていた胃腸薬などを少し分け与えた。

ガイドブックによると、ボンベイにはVT stationやクロフォードマーケット付近に安宿があると書いてあったので、安ホテル探しに歩く。 暑かった。 ものすごい人混みだった。 実にしんどかった。(-_-;)

右も左もわからなくなり、しかたなくタクシーを使って見ても、行った先は満室だったり、Hotelと看板があっても、宿泊施設ではなかったり ( HOTELと書いてあっても、いわゆるホテルではないものがインドにはたくさんある。)、暑くてうるさい人混み中を、ザックを背負って数時間歩くのは、汗かきの私にはこたえた。

インドの大都市に生きる人たちは強い! 実に強い。

「福祉」など皆無のこの国に、膨大な数の人間が、爆発的エネルギーでこの暑い国に生きている。


しんどくて、「もう嫌じゃ!」などとぶつくさ独り言を言いながら、ふと入ったサンダル屋でサンダルを買ったら意外に安かったり、よく見たら親切そうなおじさんで、今まで履いていた私のボロボロ靴を、きちんと紙に包んでヒモまでかけてもらって、そういうときは本当にほっとした。(^^)

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ボンベイは海に面している。夕方、海べりに行ってみた。 久々に海を見て潮の香りを嗅ぐとほっとした。

ボンベイからアフリカのモンバサに貨客船が出ていると聞いたことがあったので、できればここから船でアフリカに行って見たかった。
しかし、いろいろ聞いて見ると、貨客船は不定期で今度いつ出るかわからない、何ヶ月か先かもしれないとのことだったので諦めた。


インド門周辺を散歩していると、麻薬や売春婦などの売人がたくさんいて、次々に近寄ってきてうるさい。

この界隈はきれいに整備されていて、一般的なインドの街のようにごみごみしていないのに、タージ・マハールホテルという最高級のホテルを一周回っただけで、5~6人の売人から声をかけられるほどだ。 それだけ観光客が多いということか。

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13日に救世軍に泊まれた。 相部屋で、同室は馬渕さんという日本人だった。
彼はイスラエルのキブツに1年半生活してきたそうだ。

社会学的なことを話すのが好きな人で、キブツでの生活の話を中心に、社会主義、共産主義の話、ユダヤ人の歴史の話、理想的な教育の話などを延々と夜遅くまで聞かされた。

はじめてキブツをつくった今のイスラエルの老人たちは、キブツの中の総理大臣も羊飼いも同じ給料をもらっていると、誇らしげに話していたという。

芸術家であり、インテリであり、農民、労働者である彼らが、理想に燃えて、また、アラブと闘って絶対に勝たなければならないというイスラエルの歴史上の必要性がそうさせたのだという。

彼は英語も堪能で、私が英語があまり出来ないというと、何年英語を習っているんだ、それでも大学生かとたしなめられた。
確かに、英語はもちろん、彼のようにもっとたくさん、いろいろなことを勉強しなくてはと思い、恥ずかしい限りだった。

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さて、ボンベイの南約400kmのところにゴア州という小さな州がある。

インドはかつてイギリスの植民地だったが、ゴア州だけはポルトガル領だった。 ヒンズー教ではなくてカトリックが多い。

一応リゾート地ということらしく、ヨーロッパからの旅行者が結構行っているらしい。 そして、ヒッピーの溜り場になっている。

ヒッピーとは、今では随分古い言葉だが、辞書によれば
「60年代のアメリカで、既成の社会体制や価値観を否定し、脱社会的行動をとった若者たち」 ということになる。

この解釈はややネガティブだが、広い意味では
「自由を愛し、自分を信じ自分の生き方を肯定する人たち」 ということにでもなるだろうか。

・・・これは、ゴアに行って見るしかない!


1月14日朝、救世軍にいたクラウスという名のドイツ人いっしょに、ゴア州のパナジに向けて船に乗る。

アラビア海を見ながらのんびり船旅だ。

船にはインド人の子供たちが大勢、学校のツアーということで乗っていた。
子供ながらに英字新聞なんか読んじゃって、おそらくお金持ちの子弟たちだろう。

昼過ぎ、クラウスが私を呼ぶのでデッキへ行ってみると、イタリア人たちが輪になってチャラス(ハシシ)を吸い回している。

彼らは皆長髪でヒゲを伸ばし、いかにもヒッピーじみてカッコイイこと!
ハシシ喫煙用小道具をぞろりと揃え、コブラを模った飾り道具から、手飾り、頭飾り、足飾り、なんとタブラ(インドの小太鼓)や横笛まで持っている。

でも、彼らの顔から髭と長髪を除いて顔本体をしげしげと見て見ると、何となく幼さが見え隠れする。
たいしたことなさそうだ。カッコだけか・・・

ヒッピーってのは、表面の体裁じゃなくて、何となく反体制で、生き方がユニークで、もっと精神的な意味でカッコイイものだと連想していたが・・・

でも、「仲間にはいらないか」ということなので、もちろん参加した。


ゴアにはどんなやつらがいるのだろう・・


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夕刻、西の方アラビア海に夕陽が沈む・・・

大きな太陽が、ますます大きくなりながら水平線にさしかかる頃、水平線をゆく一艘の帆船が太陽に近づくのが見えた。

デッキにいた大勢の客たちが見守る中、その帆船のシルエットが、ついに大きな太陽の中に入った!
たちまちデッキに大歓声が上がる。

夕陽をあびて金色に輝く水面。その夕陽の中に浮かび上がる、帆船のシルエット。
絵のような光景が現実に目の前に広がっていた。


あたりが暗くなる頃、デッキの上ではインドの学校の生徒たちが歌を歌い出し、前の方ではあのイタリア人たちも歌いだした。
アメリカ人の若者が、ビートルズの「In my Life」をギターで弾きだした。

私はただ聞き惚れていた。 これまでの人生で最も素敵な晩だった。


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1月15日朝、すがすがしい空気の中に、眩しい朝の太陽が輝き、波頭に光る陽光は、昼にものすごく暑くなるだろうことを感じさせた。

多くの帆船が行き来している夢のような光景だ。

ゴア州の州都、パナジに着いたのだ。


旅行記 目次

第1話 旅の序章、 第2話 入国拒否、 第3話  強盗だー!、  第4話 TOMODATI!、 第5話 聖地の大晦日、 第6話 泥棒もひとつの「職業」、  第7話 船旅、  第8話 ヒッピーの聖地(海岸の小屋)、 第9話 ヒッピーの聖地(パーティー)、  第10話 ヒッピーの聖地(LSD)、 第11話 ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・)、  第12話 インド人は親切だ?、 第13話 田舎を行く列車の旅、 第14話 変わり始めた片田舎の町、  第15話 皆既日食を見た!、 第16話 屋根の上のシタール弾き、  第17話 カルカッタにて、  第18話 ヒマラヤの旅(1)、 第19話 ヒマラヤの旅(2)、 第20話 ヒマラヤの旅(3)、  第21話 ヒマラヤの旅(4)、 第22話 ついに発病か?、  第23話 ポカラの公立病院、  第24話 旅先で発病した人たち、 第25話 酷暑、 第26話 日本は「ベスト・カントリー」だ!、  第27話 目には目を?、 第28話 沙漠の国、  第29話 「異邦人」の町、  第30話 沙漠に沈む夕陽、 第31話 アラーよ、許したまえ、 第32話 イランの印象(1)、  第33話 イランの印象(2)、 第34話 イランの印象(3)、  第35話 中東にはホモが多い?、  第36話 「小アジア」の風景、 第37話 イスタンブール到着、 第38話 国民総商売人、  第39話 銃撃事件、 第40話 旅の終わり、  最終話 帰路・あとがき